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運営組織: 会 長: 会 員 数: |
沼田フェンシング協会 (沼田市体育協会加盟) 山田 龍之介 122名(令和5年度) 一般会員 85名 中学生 11名 小学生 26名 |
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沼田フェンシングクラブの歴史 | |
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昭和36年 1961 |
沼田カトリック教会の小野牧師は、礼拝堂で信者にフェンシングの手ほどきを始めた。 これが沼田でフェンシングが広まるきっかけとなった。その中に、阿部君子、須藤明がいた。 |
昭和38年 1963 |
練習場を沼田公園内の武徳殿に移し、中・高校生20名ほどが練習に通った。 指導の中心は須藤明であった。 |
昭和40年 1965 |
フェンシング練習に参加していた、杉田照明、吉澤博通、岩瀬正彦が中心になり沼田高校フェンシング部を設立した。武徳殿での練習は5年 ほど続いたが、須藤明が高崎に転勤になり途絶えてしまった。 |
昭和47年 1972 |
阿部君子、杉田照明、吉澤貞夫(現在神奈川県在住)が中心になり沼田フェンシング協会を結成。 その事業の一つに、フェンシングの普及を目的として、小中学生にフェンシングを教えた。これが 沼田フェンシングクラブの始まりである。 |
昭和48年 1973 |
会長に杉田大吉氏を迎え、沼田市体育協会に加盟した。 |
昭和50年 1975 |
吉澤博通が加わり、阿部君子から毎年、電気審判器や試合用具の寄贈を受け、沼田フェンシングクラブの練習が組織的・系統的に整備され、
レベルアップしていった。 特に、昭和63年、高崎市で第1回全国少年フェンシング大会を開催して以来、全国的に小・中学生フェンサーの育成が盛んになり、年々 フェンシング技術レベルが向上していった。 そのような状況の中で、沼田フェンシングクラブは確実に技術を磨き全国大会で優勝者を多数輩出した。(栄光の記録) |
昭和56年 1981 |
群馬国体開催に向けて、沼田フェンシングクラブ出身の、小渕佳子、大塚治代、塩崎祐理子が中心になり、沼田女子高校フェンシング部を 設立した。吉澤博通、梅澤せい(旧姓佐々木)、森 隆、田村勝浩の歴代指導者の努力で全国入賞者を多数輩出した。 |
平成15年 2003 |
杉田照明さん 社会体育功労者賞受賞 沼田フェンシング協会設立以来の長年の活動に対して、群馬県教育委員会より表彰された。 |
平成16年 2004 |
新会長に山田龍之介氏が就任 |
平成29年 2017 |
生涯スポーツ優良団体受賞 生涯スポーツの普及発展に努めた優良団体として、群馬県知事より表彰された。 |
平成30年 2018 |
ドイツフェンシングチームが世界選手権中国大会(無錫市)に向けての事前合宿を沼田市で実施した。 2020年東京オリンピック事前合宿のリハーサルを兼ねたものだった。 |
平成31年 2019 |
地域貢献賞受賞 沼田商工会議所より、長年の活動に対して表彰された。 |
令和3年 2021 |
新型コロナウイルスの世界的流行のため、ドイツフェンシングチームによる東京オリンピック事前合宿が中止となった。 東京オリンピック大会は1年遅れで無観客で実施された。 |
令和4・5年度沼田フェンシング協会役員 | |
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会 長 | 山田龍之介 |
副会長 | 星野 稔 阿部 君子 杉田 照明 |
専務理事 | 吉澤 博通 |
理事(会計) | 加藤 幸市 |
理 事 | 田村 勝浩 吉澤 千恵 森 隆 星野 敏 |
千明 正式 能登 明美 佐伯 悠 丸岡 東樹 | 桑原 一泰 諸田 勝 滝沢 美詠子 |
監 事 | 佐伯まゆみ 志賀 義文 |